PRESENTATION DES CATEGORIES DE LA CLASSIFICATION
部類別説明

 

三宝荒神

―火の神・竈の神―

 
「荒神」という名は、「荒々しい神、激しい神」と解釈できるが、極めて複雑な宗教の実態を包含している。ここで取り上げるのは「三宝―荒神」と続き合わされた名の意味である。ところで「三宝」は、一般的解釈によれば、仏・法・僧からなる根本の三位によって表される仏教そのものを示す言葉である。従って「三宝」の字が付け加えられているということは、明らかに三宝に帰依して、この荒々しい本能の神が、その力を善に向かって転じていると解釈すべきであろう。このテーマは幾度か述べて来たテーマで、中でも大聖歓喜天はその例であるが、荒神はその権化であると時には言われている(なお文殊菩薩・不動明王の権化であるとも言われている)。しかしこのように荒神が明らかに仏教化しているのは「荒神経」によるところであり、そしてこのお経は神仏混合思想の影響によって日本で書かれたものであることはよく知られている。

 荒神は和訓では荒(あ)ら神、又は荒(あら)ぶる神と読むことができ、そう読むと全く違った神話的歴史背景を持って来て、そこでは天照大神の天孫の権力に反抗する野蛮な、悪い神とされている。この荒らぶる神の基底にあるのは、これも又非常に古い日本の伝統の「あらみたま」の概念である。「たま」というのは宿り容器であると共に、その中に存在する自然のままの、生のままの、基本的状態にある神のエネルギーの本源であり、それは時には荒々しく、同時に又創造の力として現れ出るものである。この概念の上に仏教の夜叉が、恐るべき面と幸運をもたらす潜在能力を包蔵して重ね合わされた。
修験道の山伏たちによって完成された山岳界の野生の力を制御する行法、陰陽道で教える陰・陽に関する知識と、五行運行の法則に基づいた実践、密教儀法の多様な手段、神道自身の観念と祭礼習慣、そういう全てがこの荒神という神格を作り上げるべく合流したようで、それが恐らく鎌倉時代を通じて形を現して来たらしい。

 火は恐るべき破壊力を内在しながら、生命そのものの源として崇拝されるものである。その火の神的表現である荒神は、万物の主として、又あらゆる出生の守護神として祭られ、真の造化の神のように見なされている。それは一切の不浄と一切の災難のもとを破壊し、家に安全と又火防(ひぶせ)の利益をもたらす。多くの場合竈の近くに荒神棚を設けて置かれ、その場所は厳しく清潔にしておかねばならない。

 これは多くの寺においても同様であるが、この外に、特に禅宗の寺院では荒神の特別な小さな祠堂が設けられ、寺の守護神として祭られていることもある。鈴木大拙は、それらの寺はしばしば山中にあり、山はこの神の支配領域と考えられているので、〝悪の気〟(邪気)払いのためにこの神を境内に迎え入れて祭るのであると強調している。戦国時代には又、戦いの良い守護神とされて、その像が猛々しい前立となって飾られた。

 以上が三宝荒神という、主として「火の神」「火伏せの神」「竈の神」と三重の呼称によって定義されたこの荒神の形態である。いわずもがな、これは他の別の形で別の名で知らているもっと漠然とした、もっと全般的な性格の神の一性質がこの三分野に個性的表現を持ったに過ぎない。

 さて、はじめに示唆したように「荒神」という神は、すでに充分複雑な概念の三宝荒神より更に広い宗教的実態を包含しているものである。民俗学者直江広治は「屋敷神」と言われる神についての有名な著作の中で、荒神を三種に大別し、以後それが通説となっているが、その中で我々が取り上げている三宝荒神だけが、その普及に仏教が寄与したお蔭で、全国的に知られていること、又著氏はこの神は家の内で祭られているのが特徴であるとしている。二番目は著氏が「地荒神」と呼ぶもので、これは屋外で個人的な屋敷神として祭られるか、又は集団で、しばしば小高い丘の林で集落の守護神として祭られるが、荒神の名としては局地的にしか知られていない。三番目は異なった様子で普及しており、それは「牛荒神」と言って主に家畜の守護神である。この分類は大変興味深いとはいえ、分別の境界が厳密でないように思われる。著氏自身あちらこちらで観察したところでは、この信仰の間に混交があることを認めている。

 前述した荒神棚には、神道タイプの木の小さな厨子宮に名を記載しただけのお札の場合もあるが、仏教化した像容のお札が入れられている。最も流布した形は夜叉タイプの忿怒相で、三目の三面を持ち、頭髪は炎のように逆立ち、その中に仏の顔が見える。六臂で、主臂に金剛杵と金剛鈴を持ち、その他に弓・矢・槍などを持つが、このような持物は悟りへの導師「金剛薩埵」と「愛染明王」を合わせたとみられる「金剛王」の持物と同じで、これはこの神の恐るべき激しい力を仏法という更に大きな力で制御する特別な配慮を示すものであろう。岩上の返り蓮葉の台座に立つが、反荷葉はよく天部の像の台になっているものであり、岩はこの「激しい神」の住居である高山を表しているのであろう。

 

参考文献

-『日本民俗辞典』大塚民俗学会、1972、245~246
- 直江広治『屋敷神の研究』吉川弘文館、1966 (第3版1972、369頁以下)
- Laurence Berthier-Caillet, Fêtes et rites des 4 saisons, Paris, Publications Orientalistes de France, 1981, pp. 366-367.
- 川口謙二『神仏混淆の歴史探訪』東京美術選書 36、1983, pp. 145~148。

*「あらみたま」の概念については
- Simone Mauclaire, « Serpent et féminité, métaphores du corps réel des dieux », L’Homme, 117, pp. 67-68.

*三本の脚を持つ竃の支え、及び、極東全般に亙る宗教的意味については
- R. A. Stein, « La légende du foyer dans le monde chinois », Echanges et Communication – Mélanges offerts à Claude Lévi-Strauss à l’occasion de son soixantième anniversaire, La Haye, Mouton, 170, pp. 180-1306, notamment p. 1287 et n. 21.

*三頭を備えた荒神と、« Deniche »(大日如来)と呼ばれる三位一体の神との混同(その記述は、三位一体の神を日本で見つけたと思い込んだ衝撃を十六世紀の西洋人にしばらく与えたが)については下記論文参照
- Bernard Frank, Leçon inaugurale (Collège de France, Chaire de Civilisation japonaise, 29 février 1980), pp. 13-16 ; 『宗教と文学の鏡を通してフランスから見た日本』/石井晴一訳、「文学」1981年1月号、57~59頁

- 佐和隆研編『密教辞典』京都、法蔵館、1975、275頁(三宝荒神);273頁(金剛王菩薩);463頁(大勝金剛)
- 佐和隆研編『仏像図典』増補版、吉川弘文館、1990、51頁。
- D.T. Suzuki, Manuel of Zen Buddhism, New York, Grove Press, 1960, pp. 173 et 178.
-『日蓮宗事典』 日蓮宗宗務院、1981、944~945頁
-『仏像図彙』 III, 22 (「三宝荒神」「子島荒神」「如来荒神」)
- Art bouddhique japonais : Sculptures et peintures de la préfecture de Hyôgo (VIIe-XIXe siècle)[catalogue de l’exposition], Bruxelles, Banque Brussel Lambert, 1989, p. 71 et 136 (figuration assise à huit têtes, corps rouge, peinture du XIVe siècle).
ギメ美術館目録85番の像は、ギメ、ミルエ両氏は荒神としているが、烏芻沙摩明王であると認められた。